なにはさておき量子論 第5章 ディラックの海

【なにはさておき量子論 第5章 ディラックの海】

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どちらも P.ディラック


1.ディラック!

始めにことわっておきたい。
この読み物は、年代順でも、人名順でもない。私の気まぐれ(一応、読む人がわかり易いかなー、という配慮はしているつもり)で書いている。

ここまで、読み進めた人の中には、次のような不満を持っている人もあるだろう。
(1)「ボーアとアインシュタインの論争」はどうなった?
(2)シュレーディンガーの前にディラック?
でも、いいのである。
この辺で、みなさんの興味を引きつけておかねばならないのだ。
知ってる人は、知ってると思うが、『ディラックの海』はSFの世界では極めて有名だ。そして、実に面白い。私の好きな光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」にも登場する。(知らない人は是非読んでください。長い文章を読むのが苦手な人は、萩尾望都が漫画化してますので、そちらでもよいかと。ただし、クリスチャンの人は絶対読んではいけない。警告しておきます。)

ここで、この話をしておかないと、後の説明が結構難しい。従って、年代順には、むちゃくちゃなのだが、上記の(1)、(2)は、この後で書く。とにかく、この章はディラックなのだ。

ディラック”をご存じだろうか。なにを隠そう私が最も好きな物理学者である。
写真で風貌を見て欲しい。二枚の写真は、どちらもディラックである(私は、右の方が好きだ)。
イギリスの理論物理学者である。ブリストル大学で数学を、ケンブリッジ大学で物理学を学んだ。この順番は正しい。数学のよく解った人が物理をやると、面白い(らしい)。

ディラックという人、とてもシャイな方であったということだ。その寡黙さは常人のレベルではなく、ノーベル賞の受賞が決まったとき、有名になって色々な人と会話しなければならなくなることを恐れ、真剣に辞退を考えたということだ。驚いたラザフォードが、「もしノーベル賞を断ったら、もらうより有名になるぞ」と言って説得、渋々賞を受けたというエピソードは有名だ。

ケンブリッジ大学のルーカス教授職を努めた。このルーカス教授職というのは、ケンブリッジ大学の数学関連の名誉ある地位であり、ニュートンをはじめ、近年ではホーキングもこの教授職に就いている。

詳細を語る前に、これだけは、言っておこう。
ディラックのやったことは、量子論相対論をもちこんで、「相対論的量子力学方程式」=「ディラック方程式」を導いたことである。
20世紀のふたつの画期的な物理理論である「相対論」と「量子論」は、実は長いこといっしょに考えられることがなかった。かたや「この宇宙」の理論であり、かたや「微小粒子」の理論である。はじめから、このふたつを統合して考えていたら、おそらく量子論の実用化は半世紀くらい遅れていただろう。

量子論において、相対論が問題になって来たのは、高エネルギー原子物理学が発展してきたからである。例えば電子光速99.999%くらいに加速することが可能になって、電子のエネルギーが、質量化することが判明した。つまり重くなるのだ。これは相対論の「質量=エネルギー」の裏付けになった。
さらに、崩壊時間が非常に短いはずの素粒子が、速く走ると計算より長く生きていることが認められた。その素粒子にとっての寿命(すなわち時間)が延びているのである。

ディラックは、量子論に相対論を持ち込んだ(私見であるが、逆は難しいだろう)。そして、ディラック方程式を作ったわけであるが、これを解いてみると、へんてこりんな解が現れた。

それは、負のエネルギーを持った電子の登場であった。普通の人なら、「なにか間違った」と思って、その解を捨てるであろう。しかし、ディラックは違った。苦労して作り上げた方程式は正しいと仮定することに躊躇しなかった。
「方程式は正しい。むしろ、負のエネルギーの解が、現実には現れなくなるような物理的解釈を見つけよう。」と考えた。

そこで、登場するのが、『ディラックの海』である。


一言いいたい!





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C.アンダーソン


2.騾馬電子

私たちは、「真空」をどのように捉えているのだろうか?
ニュートン物理学では、全く何もない空間を真空と定義していた。これは誰しも納得の行く考え方であろう。
ファラデーは、電磁場というものを想定し、真空が何もない空間ではなく、そこにはがある、と言ったが、もしそこに場の源になる何か、が存在しなければ、それは、ニュートン物理学の真空と区別する必要はない。

いずれにしても、「真空」は、エネルギーが最も小さい状態であることに代わりはない。
「エネルギーが最小の空間」=「エネルギーがゼロの空間」である。誰にも異論はないだろう。

ところが、ディラックは妙なことを主張した。

「なぜ、エネルギーゼロの空間が最低エネルギーなのか? もし負のエネルギーがあればそちらの方が小さいではないか?」

詭弁に聞こえる?
しかし、思いだしてほしい。ディラック方程式を解くと、そこに、負エネルギーの電子が登場したのである。負のエネルギーは、当然ゼロより小さいエネルギーである。
ここで確認しておきたい。私たちの観測にかかる空間とはなにか? それは、そこに、他の場所より大きいエネルギーがあるとき、その差分を、何かが存在する空間として認識し得るのである。何も難しいことは言っていない。いたるところ最小エネルギーの空間であれば、私たちはそこを真空以外と観測することはできない

ディラックは、自分の方程式から負エネルギーの電子が現れたとき、これまでの真空の概念を覆してみた。すなわち負エネルギーの電子が多数存在する空間を考えたのである。
ところが、エネルギーが小さい方が安定であるという事実のため、普通の電子は、を放出しながら、エネルギーを失い、負のエネルギー電子にまで落ち込んでしまうはずではないか? という疑問があった。
それを回避するのが、負の電子がつまった空間を真空とする、という発想である。ぎっしりと負の電子がつまっているために、通常の電子は、それ以上にエネルギーを失って、負エネルギーになることができない。
いたるところ負エネルギーの電子がつまっていても、正エネルギーの世界では、その存在は、真空と同じだ。なぜならその空間は一番エネルギーの低い状態だからだ。

まとめる。
負エネルギーの状態に電子がぎっしりつまっていて、これ以上負エネルギーの電子が生まれる余地のない空間、それが真空である。そしてそのような空間を「ディラックの海」という。

ここで、次の現象を思いだしてほしい。それは、「電子対創生」である。これは、電子質量の2倍以上のエネルギーをもったガンマ線が、電子と陽電子のペアを作り出す現象である。今でこそ私たちは、この現象を実験も済んだ既定の事実として認識しているが、ディラックがこの負エネルギー電子のつまった空間を提唱したときにはこの概念はない。

ディラックが考えた過程を追ってみよう。

負エネルギーがつまった真空に、高エネルギーガンマ線が走ると、ガンマ線は、負エネルギーの電子にエネルギーを与える。そうすると、負エネルギーだった電子は、正エネルギーの通常電子(負電荷)となって空間に飛び出す。すると、この電子がいた負エネルギーだった場所は、電子が飛び出すので穴になる。周りが全て負エネルギーの空間に穴ができると、そこは負電荷が持ち去られた正エネルギーの電子として観測されるはずである。負電荷が持ち去られたのであるから、その電子は正電荷である。

ディラックは、この正電荷の電子を騾馬(ラバ)電子と名付けた。後の陽電子である。物理的には電子と同じ性質を持つが電荷のみ正であるような粒子である。

さてこの現象を素直に見るとなにが起こったように見えるか?

真空を高エネルギーガンマ線が走ると、ガンマ線のエネルギーで、電子と陽電子ができたように見えるはずだ。これは正に電子対創生である。
負エネルギー中の穴(陽電子)は、エネルギーの低い安定な状態になろうとするため、普通の電子がエネルギーを失って落ち込んで、穴を埋める。これが対消滅だ。

ディラックはこの現象から、騾馬電子(陽電子)を予言した。そして、この陽電子を実際に発見したのが、”アンダーソン”である。

なお、アンダーソンは、陽電子の発見でノーベル賞を得た(1932年)が、その翌年、ディラックが、上記理論でノーベル賞を受賞している。実験物理学者は、発見あるいは確認したその時にノーベル賞候補になるが、理論物理学者は、その理論が確認されないとノーベル賞候補にならないのが一般的なのである。

最後に余談(『百億の昼と千億の夜』を読んでいない人には、理解不能です。)
『百億の昼と千億の夜』では、オリオナエ(プラトン)とシッタータ(釈迦)と阿修羅が、「惑星開発委員会」の真実を追って宇宙の彼方へワープするとき、オリオナエが作った時空転送機のエネルギー源として、「ディラックの海」が登場する。三人は、この時空転送機を用いて、エントロピー≪D≫の場所へとワープしようとするが、間違って閉鎖された虚数空間へ飛び込んでしまう。ここで、虚数空間をマイナスエネルギーの世界だと言っている。
ハードSFとしては、非常に魅惑的な展開ではあるが、実は「ディラックの海」は、われわれのすぐそばに存在するのだ。それは「真空」である。特別な空間ではない。



一言いいたい!





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R.ファインマン


3.量子論的真空

前項では、ディラックの海、すなわち、負エネルギー電子がいっぱいにつまった真空の話をした。そしてアンダーソンが、宇宙から降り注ぐ宇宙線のなかから、陽電子を発見した。陽電子のが、高エネルギーガンマ線であることをつきとめたのである。これが、第4章4項で説明した電磁カスケード・シャワーである。

余談
「電磁カスケード・シャワー」を「でんじりょく すけーど しゃわー」と読んでいた人がいたらそれは間違いである。「でんじ かすけーど しゃわー」と読んでもらいたい。「カスケード」には、「滝」という意味がある。まさに、大気中にガンマ線と電子・陽電子の滝ができる現象が「電磁カスケード・シャワー」である。


ディラックの海とは、負エネルギー電子のつまった空間なのである。(→末尾の注を参照)
ところが、更に高エネルギーガンマ線は、電子以外の対創生をおこすことが実験で確かめられている。例えばミューオンと反ミューオンの対創生である。

ということは、負エネルギーのミューオンがぎっしりつまっているのが真空だ、という結果が当然のように出てくる。
真空とは、負エネルギーの電子の海だったはず? という疑問は健全である。負エネルギー電子が目一杯つまっているから、それ以上電子は、負エネルギーに落ち込むことができなかったのである。そこに負ミューオンまでつまっている?
しかし、これ以上詮索はやめることにしよう。それどころではない。この宇宙に存在する全ての素粒子の負エネルギー状態が真空にはつまっているのだ。

言い訳
ミューオンとはなんだ? という疑問をお持ちの方へ。素粒子には軽粒子族(レプトン)として、電子・ミューオン(ミュー粒子)・タウオン(タウ粒子)及びそれとペアになるニュートリノの6種類がある。なんだそりゃ? とみんな思うであろうが、ここは我慢していただきたい。レプトンについては、バリオン・メソンと共に、「わかるまで素粒子論」で必ず説明する。


「ディラックの海」とは、既発見、未発見を問わず、あらゆる素粒子の負エネルギー状態がぎっしりつまっている。
というより、あらゆる素粒子の負エネルギー状態がぎっしりつまっている真空を「ディラックの海」という。
驚くべきは、未発見の素粒子まで負エネルギーでつまっている、と断言してしまうことだ。

余談
高エネルギー粒子加速装置が、次々と建設され、新しい素粒子が見つかっている。これ以上の新しい粒子を叩き出すには、地球の衛星軌道上にシンクロトロンを作らなければならない、と実験物理学者は嘆いているそうである。もはや一国の力で作れるものではない。これを機に世界の国々が一致団結しなければ新しい粒子加速装置は作れないであろう。何のために粒子加速装置が必要かって? 人間の好奇心のため、よ。


つまり、真空とは、与えられたエネルギーに相当する粒子を生み出す素粒子の宝庫なのだ。

そして、ハイゼンベルクの不確定性原理により、極短時間なら、負エネルギー状態の素粒子が正エネルギーになってもよい、ということが導かれる。対創生という実過程のバーチャル版が、この「真空の揺らぎ」である。
極短い時間で、粒子と反粒子が生まれ、それがまた対消滅するのが、「真空の揺らぎ」である、というわけだ。

ディラックの海は、あらゆる素粒子のスープなのである。

(注)
さて、ここまで引っ張っておいて、今更のように、この注記を書くのは心苦しいのだが、真実を書いておかねばならない。
負エネルギーがぎっしり詰まった「ディラックの海」には実は大きな問題がある。それは、「電荷」の問題だ。負エネルギーであっても電荷は持っているはずで、それが詰まった場所は、電荷がマイナス無限大になってしまう。
更に、質量だって無限大になってしまい、これはとんでもなく時空をねじ曲げる。

というわけで、ファインマン達が、ディラック理論の拡張を行い、真空での負エネルギーの海を考えなくとも、電子と陽電子を対等に扱うことに成功した。

なんだ、とがっかりしないで貰いたい。ディラックが切り開いた「海」により、それを超える「量子電磁力学」が誕生したのだから。


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