物理は本当に面白くないのか?


誤解する人がいると困るので、一言。
この文章は、「物理が面白くない」ことを主張するものではなく、
本当は「面白いんだぞ」ということが言いたくて書いているものです。


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物理が10倍面白くなる話


お品書き

 1.なぜ物理は面白くないのか
 2.「公式」というもの
 3.ある調査
 4.物理嫌い
 5.物理量
 6.あなたとアキレスが競走するには
 7.単位
 8.力学
 9.運動エネルギー
10.状況を把握する





1.なぜ物理は面白くないのか

まっとうに世の中を生きて来た人たちの多くは、「物理は嫌い」と言う。これは残念ながら、事実である。その理由にはいくつかあるだろうが、集約すれば次のようなことであろうと思う。

初速$20m/秒$、仰角$45度$で投げ上げられた$10kg$の玉が、どこまで飛ぶのか計算して何がおもしろいのか。

物理には、いくつかの分野があるのだが、上記は、初等力学である。これをもう少し分析してみよう。
(1)それが解ったからといって、なにが面白い?
(2)数学は苦手ではないが、物理の計算はちっとも面白くない
(3)私は大学の受験科目として物理を選択していない
(3)は、できの悪いブラックジョークであるが、まあこんなものかと思う。

簡単な例をあげる。
「ある自動車が、$120km$を$1$時間半で走りました。さて時速は何$km$だったでしょう。」

これは「速度」を求める問題である。
公式』がある。
「速度」=「距離」/「時間」
なのである。よって、この『公式』に上の数値をあてはめれば、
$120(km)/1.5(Hr)=80(km/Hr)$
となる。
数学は全然難しくない。ただの割り算だ。小学生にでも出来る。

私だって、こんなのは面白くもなんともないよ。それが解ったからといって、「だからなんだ」という意見には賛成だ。
その自動車は、一時間あたり平均$80km$を走ったのである。それだけである。


もうひとつ例をあげる。
ビリヤードの台の上を、玉が走っている。
理想的な状況を設定する。つまり、台と玉の間に摩擦はなく、玉は台の縁(へり)にぶつかったとき、速さが変わらず、台に対する入射角と反射角が等しい。とすると、

ある瞬間に玉が、「どこにいて」「どちらの方向に」「どのくらいの速さ」で走っているかが解れば、その後(その前でもいいが)の玉の位置は、完全に予測可能である、ということだ。
$1$分後であれ、$1$時間後であれ、$1$万年先であれ同じ事だ。バカバカしいのでだれも計算してみないだけである。

ほら見ろ、物理はおもしろくないじゃないか。

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2.「公式」というもの

物理の試験問題を解くには、「公式」を覚えなければならない。
そこで、初等力学の公式のおさらいをしてみよう。

【速度$(v)$】$s$:距離、$t$:時間
$v=\Large{\frac{s}{t}}$
【加速度$(a)$】
$a=\Large{\frac{v}{t}}$
【運動量$(p)$】$m$:質量
$p=mv$
【力$(F)$】
$F=am$
【仕事$(W)$】
$W=Fs$
とりあえず、このくらいにしておこう。たった五個の「公式」だ。それも二つの値のかけ算か割り算にすぎない。簡単に覚えられるだろう。

そこで、次の問題を解いてみよう。
地球上で、初速$20m/秒$、角度$45$度で投げられた$10kg$の玉は、
何$m$先へ、何秒かかって飛ぶのか?
(但し、地球の重力加速度を$9.8m/秒^2$とする。)
はい、考えてみよう。そうね、とりあえず、次回までに解いてみようか。

でも、考える気もおきないよね。 さあ、更に物理が面白くなくなってきたでしょう。

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3.ある調査

ある場を利用させていただいて、「なぜ物理が嫌いですか」という問いに答えてもらった。
以下は、それを忠実に、コピペしたものである。

********************
嫌いと言うか苦手です。
それは目に見えないものが多いからです。
遠心力、重力、力、飽和、電流、宇宙の事(物理かなあ?)など、
その他にも色々あると思うのですが。
実感として捉えられないので、頭で考えるのですが!!!
とても無理があります!!!
********************
テストのときは一生懸命覚えこもうとしますが
その時だけで、応用が利かないのです。
今ではさっぱりです。
********************
高校の時の物理の先生曰く「難しいから」だそうです。
********************
具体的な事象を想像しづらいからじゃないかな?
ペーパーテストでも数式が思い浮かばなくて苦労しましたよ。
算数好きの物理嫌いだった僕はそんな感じでした。
算数苦手な人はそもそもそれ以前の状況でしょうね。
********************
でんじろうさんのように興味の出る実験などから教わるのではなく紙の上だけの
公式ばかりで実感が湧かないからではないでしょうか。
********************
やはり、一つには実際の現象を視覚的にとらえにくいものが多いためであるからだと思います。これは、もちろん、現実に目に見えない現象もありますが、日常、体験していることでも、理論と直接結びつきにくいと考える方が多いからだと思います。
もう一つは、論理的な考察に加え、数学的なアプローチを必要とするからではないでしょうか。「どちらか一方なら理解できるかもしれないけど、両方となると難しい」と考える方が多いからだと思います。
********************
おそらく、論理的に考えることが苦手であればそのようなことがおきると思います。
又、物理は教科書だけではイメージがしにくい分難しいのではないでしょうか。
********************
「ちゃんと物理が判っている先生がいないから」でしょ。
教える側が公式とか計算とかしか知らない「ペーパーテストだけ先生」だから、結局「物理がなんだかわかんない」んですよ。まあ、教える側が知らないんだからしょうがないんですが。

物理っていうのは「この世の成り立ちはどうなっているの」とか「様々な現象の仕組みはどうなっているか」を解き明かす学問なんですが、教える側が「それ以前で思考停止してる」んですからどうにもなりません。教科書に書いてあるから、参考書に書いてあるから、そういう風に教わったから・・・。
ね?全然物理じゃないんですよ。

「嘘を教えられているから」でもいいですよ。もちろんこの「嘘」っていうのは「物理という学問」について、という事で、公式や法則が嘘ってことではありません。
********************
物理が何たるかが解らないので、とりあえず「解らない」を「嫌い」と表現しとこうかってとこです。
化学なら日常の家庭用品にも入り込んできており「よく解らない」で済むので、「嫌い」という表現にはならないです。
解りやすい話は、子供も大人も大好きです。
********************
物理の教科書をちょっと開いて見ます・・・と目の玉が点になるほどの数式の山!
これって、数学なんじゃないか・・・バカないかれぽんちには無理な相談なのでして・・・・

何か傾向が見えて来ませんか。

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4.物理嫌い

この読み物を、延々と続けるつもりはない。
延々と続ければ、かえって物理嫌いが増えてしまいそうである。
そこでまず、「物理が嫌い」な理由を、私なりに整理してしまおう。

(1)物理は難しい(という先入観)
>テストのときは一生懸命覚えこもうとしますが、その時だけで応用が利かないのです。
>曰く「難しいから」だそうです。
>物理が何たるかが解らないので、とりあえず「解らない」を「嫌い」と表現しとこう
>解りやすい話は、子供も大人も大好きです。


(2)物理って数学?それとも論理学?
>ペーパーテストでも数式が思い浮かばなくて苦労しましたよ。
>算数苦手な人はそもそもそれ以前の状況でしょうね。
>公式ばかりで実感が湧かないからではないでしょうか。
>論理的に考えることが苦手であればそのようなことがおきると思います。
>論理的な考察に加え、数学的なアプローチを必要とするからではないでしょうか。
>教える側が公式とか計算とかしか知らない「ペーパーテストだけ先生」だから
>物理の教科書をちょっと開いて見ます・・・と目の玉が点になるほどの数式の山!
>これって、数学なんじゃないか・・・


(3)日常体験と物理が繋がらない
>具体的な事象を想像しづらいからじゃないかな?
>算数好きの物理嫌いだった僕はそんな感じでした。
>実感として捉えられないので、頭で考えるのですが、とても無理があります
>日常、体験していることでも、理論と直接結びつきにくいと考える方が多いからだと思います。


まず(1)である。つまり、物理は「難しい」に対する答え。
世の中には、物理を「難しい」とは思わない人もいる、ということは認めてもらえるだろうか。
そして、多分、この中には二種類の人々がいる。
一方は、物理を「難しい」とは思っていられない人、即ち、物理を研究する人である。
もう一方が、物理を「好き」だと考える人である。
前者は、後者に含まれると考えるかもしれないが、必ずしもそうとは言えない。
物理を研究していても、物理を「好き」だとは限らないのは、研究者には、それを職業としている人が多いからだ。
自分が働いている仕事が必ずしも「好き」でない人は、他の職業にも、少なからずいるだろう。食うためには仕方のないことである。
だが、こんな話をしたいのではない。
物理を「好き」な人は、なぜ物理を「難しい」とは思わないのか、である。
物理好きの中に、物理を「難しい」と感じる人が本当にいないのか、である。
「俺は、物理を好きだが、物理を難しいと思っているぞ。」と叫ぶ人、いないだろうか。


そこで(2)である。
『公式』が覚えられない。
数学が難しくてついて行けない。
従って、物理は好きなのだが、「難しい」。
答えを言う。
『公式』を覚えて、それを計算すれば答えが出る、これは物理ではないのだ。
これは、試験勉強という分類に入る偽学問である。

物理のはじまりは、「自然現象を知りたい、そして説明したい」という知的欲求であって、全然数学ではない。
まして、論理学でもない。
そこを取り違えて始めるから、物理が嫌いになる。

そうなってしまうと、今度は(3)に陥る。
物理と、日常体験は繋がらない、という思いこみだ。
本当は、物理は、日常体験から始まっているのである。

なぜ、こんなことが起こるんだろう?
もしかすると、これと関係があるのかもしれない。
じゃあ、試してみよう。
やっぱり、そうだった。
それじゃあ、こういうことも起こるんじゃないのか?
やってみよう。
やっぱり、起きた。
じゃあ、それを、みんなが解るようにまとめてみよう。


これが物理だ。

それじゃあ、数学って、何なんだ。

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5.物理量

「物理で出てくる数式を理解しようとしているのですが、数式から物理現象を上手くイメージすることが出来ません。数式をイメージ出来る手助けとなるような参考書はないでしょうか。」

上記のような質問を某所で見かけた。
同じような事を考えている人、考えた事のある人いないか?

発想が逆なのよ、数式を眺めて、物理現象を理解しようなんて。

例をあげる。
・大昔、アキレスと亀が走って勝負した
・アキレスと亀は、同じ場所を同時にスタートして、ある場所までを走った
・どちらが先に、その場所に着くかを競った
さて、いったい、アキレスと亀は何を競ったのか?

この答えを言う前に、次のことを考える。

今、そう現代、あなたが、アキレスと競争して勝ち負けを決めようと考えた。
ところが、現代にアキレスはいない。(当たり前のことを言っているだけなので、深読みしないように。)
だから、アキレスといっしょに走って、どちらが先につくか、という勝負はできない。

じゃあ、どうやって決着を付けることが可能か? さあ考えてみよう。


【答え】
アキレスと亀が競ったのは、走る速さである。
従って、アキレスと、あなたが勝負するには、どっちが速く走れるかを決めれば良いのだ。(反対意見があったら言ってね。)

ここに「速さ」というものが登場した。
これを難しく言うと「物理量」というのだ。(身近な量でしょ)

「速さ」という量そのものは難しくはない。
アキレスと亀は、「同じ距離」を一緒に走り、どちらが「短い時間」で、そこを走りきるかを競った。

よって、あなたがアキレスより速く走れるか否かは、アキレスが走った「距離」そこを走った「時間」が判明していないと、比較できない。(反対意見があったら言ってね。)

仮に次のことが判明していたとする。
(1)アキレスがスタートし、ゴールした場所は記録に残されている
(2)アキレスが走った日が分かっており、夜明けと共にスタートし、ゴールした時の太陽の位置が記録にある

さあ、あなたはアキレスと勝負するために、ギリシャへ出かけ、一年のうち、アキレスが走った日を待ち、スタートしなければならない。

本当か?

あなたは、ギリシャへ行く必要はないし、アキレスが走った日を待つ必要もない。

そして、単に「速さ」だけを競うなら、アキレスと同じ距離を走る必要すらない。

なんでこんな持って回った言い方をしているかというと、走る距離が変われば、人間の体力が問題になるからだ。
$100m$競争向きの人もいれば、マラソン向きの人もいるということ。


アキレスが走った「速さ」というのは、ある一定距離を走るのにかかった時間で決まる量なのである。

この極めて日常的な「速さ」という物理量を、アキレスの時代でも現代でも同じように扱うために「数式」が登場する。
というより、登場せざるを得ない。

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6.あなたとアキレスが競走するには

「速さ」という「物理量」は、もともとは、運動会の勝ち負けだったのだ。
いっしょに走って、どちらが先にゴールするかが、速いとか遅いという「概念」だった。

難しいことは、言ってないよ。分かるよね。

ところが、あなたとアキレスのように違う人間が別の場所を、別の時に走った場合でも、勝ち負けを決めたくなったらどうするか?
そこで「速さ」という「概念」「定義」する必要に迫られる。いったい何が「速くて」何が「遅いのか」である。

もともとは、同じ「距離」を走って、どっちが「先に」着くか、それが「速い」「遅い」だったはず。
であれば、「走った距離」「かかった時間」が分かれば、「速さ」というものは普遍的に「定義」できるのではないだろうか。(しつこいようだが、非常に簡単なことを、難しそうに言ってるだけだよ。)

つまり、ある決まった「距離」を走るのにかかった「時間」を速さと定義できる。(「時間」が小さいほど速い)
逆に、ある決まった「時間」内に、走った「距離」でも速さは定義できる。(「距離」が大きいほど「速い」)
よって、「速さ」という「量」は、
   (速さ)=(距離)/(時間)

で、定義できるのだ。

なぜだ、なんでそうなるんだ、と思った人いるでしょう。

距離「1」を走るのにかかった時間が「速さ」なのではないのか、と思った人いない?
であれば、もし距離「1」を走るのに時間が「3」かかったら、「速さ」はいくつになる?

まだ、分からないかな。じゃあ比べてみよう。
距離「3」を走るのにかかった時間が同じ「3」だったら、「速さ」は?

同じ「距離」を走るのに、「時間」は少ないほど「速い」のだ。(当たり前のことを言ってるんだよ。)
逆に言えば、同じ「距離」を走るのに、「時間」が多くかかるほど、「速さ」は少ない、つまり「遅い」。

そう、分子が同じ大きさなら分母は大きいほうが、値は小さくなる。
逆に、分母が同じ大きさなら分子は大きいほうが、値は大きくなる。

そして、これを「速さ」に当てはめるなら、
「距離」が同じ大きさなら「時間」は大きい方が、「速さ」は小さい。
「時間」が同じ大きさなら「距離」は大きい方が、「速さ」は大きい。

よって、分子が「距離」で、分母が「時間」だ。

   (速さ)=(距離)/(時間)

これが「速さ」を表している。このように定義すれば、あなたは、アキレスと勝負できるのだ。
これが、物理を数学で表現する理由だ。
数学(この場合は「割り算」)を使うと、「速さ」という勝ち負けでしか決められなかったものが、もっと普遍的になる。

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7.単位

さて、これで晴れて、あなたとアキレスは時空を超えて、駆けっこをすることができるようになった。
ただし、決めておかなければならいものがある。それは、共通の「ものさし」である。

例えば、距離を「メートル」でしか知らない人と、「ヤード」でしか知らない人が会話して、「俺は$300$走った」「私は$350$走った」と言い合っても、全然同じ土俵で相撲をとっていないことは、すぐに理解できるだろう。
ここでイメージしている「メートル」とか「ヤード」とかを単位というのである。難しく考えることはない。「ものさし」の一目盛りのことである。
距離は分かり易いが、時間の一目盛りとはなにか? 目に見えないではないか、と言うなら、時計を思い浮かべてもらいたい。一番早く動いている針が示すものを「秒」といい、長針がなぞっているものを「分」、短針が指すものが「時」である。そう決めたのだ。

それでは、速さの単位はなんだ?

ここで、式がものを言うのである。

(速さ)=(距離)/(時間)

を思いだしてもらいたい。距離を時間で割ると、それが速さなのであった。
ということは、速さの単位は、「メートル/秒」である。(/は、「毎:まい」と読む。)
アメリカ人なら意義を唱えるであろう。私たちの速さは、「ヤード/分」だ、と主張するかもしれない。しかし、それは本質的な問題ではないのだ。単位として、同じ目盛りを選択すればよいだけのことである。
通常は、$MKS$単位系といって、
距離:$m$(メートル)
質量:$kg$(キログラム)
時間:$Sec$(秒)
を選ぶ。
もちろん、違っていてもよいわけで、事実、$cgs$単位系
距離:$cm$(センチメートル)
質量:$g$(グラム)
時間:$Sec$(秒)
で押し通す場合もある。

これで、『速さ』というものが、みんなで使える共通認識の単位として認知された。$MKS$単位系なら、『$1(Sec)$間に動く距離$(m)$』が『速さ』である。
やっと、あなたとアキレスは同じ目盛りで速さを比べることができるのだ。

速さの単位として、なぜ固有の名称をつけないのか? 例えば「$m/Sec$」なんて長ったらしい単位でなく、「アキレス」とかいう単位を作って、「$100m/10Sec$」を「$1$アキレス」と決めたっていいじゃないか、と思った人はいないだろうか。
もちろん、そういう考え方もあってよいのだ。(船の進行する速さに「ノット」という単位があったり、音の速さを単位とした「マッハ」などという単位が、事実存在する。)
しかし、私なら、そういうのは面倒でやってられない。なぜなら、速さの概念とは全く別個に速さの単位を覚えなくてはならないからだ。
これでは、物理が暗記科目になってしまう。
速さとは、ある時間内に移動する距離のことである、という認識ができれば、単位は自動的に、「距離/時間」で「$m/Sec$」になってしまう。これがいかに合理的であるか理解できるだろうか。物理の中でも馴染み深い「力学」という分野は、$MKS$という三種類の単位だけで、全ての量がみんな記述できてしまうのである。
これを使わない手はない。

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8.力学

ここまで「速さ」という量を説明してきた。「ひつこい」という意見も出たくらいなので、わかってもらえたものと信じる。
そこで前回書いた$MKS(m,kg,Sec)$で現すことができる「量」をもう少し紹介しよう。

【速度】
いままで話してきた「速さ」のことである。ちょっとかっこつけて言ってみただけ。よって、「速度」を$(v)$で書くと、
$v=\Large{\frac{s}{t}}$   [$m/Sec$]
となる。

注記)速度$(v)$:velocity
   距離$(s)$:space
   時間$(t)$:time

【加速度】
速度も変化することがある。あたりまえである。人が走ったって常に同じ速度で走るわけじゃない。そこで、この速度が変化する量を現すものを、「加速度」と呼ぶ。ある時間内で、速度がどのくらい変わるのかを考えるのだから、変化した速度(差)を時間で割ればよい。この「加速度」を$(a)$で書くと、

$a=\Large{\frac{v}{t}}$   [$(m/Sec)/Sec$] → [$m/Sec^2$]
である。

注記)加速度$(a)$:acceleration

【力】
物体の速度を変えるために必要な量のことである。言い換えると、物体に加速度を与える量のことだ。経験から、物体が重いほど動かしにくく、たくさん加速させようとするほど、「力」が必要になる。よって、これを(F)で表すと、
$F=ma$   [$kg・m/Sec^2$]
である。

注記)質量$(m)$:mass
   力 $(F)$:force

【仕事】
物体をある力で、何m動かすことができるかを決める量である。要するに力を使って物体を動かした距離に比例する量だ。
$E=Fs$   [$kg・m/Sec^2・m$] → [$kg・(m/Sec)^2$]
注記)仕事$(E)$:energy

えっ、ちょっと待て、"energy"って、「エネルギー」のことじゃないのか? と思ったでしょう。
そのとおり、実は、「エネルギー」と「仕事」は同じものなのである。力を用いて、物体を移動させるのに必要な量が、「仕事」であり、「エネルギー」なのだ。「エネルギー」とは、仕事をする能力のことなのである。

さて、この四つが分かれば、初等力学をマスターしたと考えてよい。「力」の式は、「ニュートンの運動方程式」と呼び、エネルギーが登場すれば、力学は、これで、オールスターキャストである。

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9.運動エネルギー

この辺で、みんな分からなくなることがある。

次のことを考えてみよう。

止まっていた物体が、一定の力を受けて、加速度$10m/Sec^2$で速度を増しつつ、$20Sec$走った。さて、物体は、何$m$進んだか?

あなたは、
加速度=速度/時間 を知っている。そこで、次の計算をする。
$10(m/Sec^2)=v(m/Sec)/20(Sec)$   ∴$v=10\times{20}=200m/Sec$・・・(1)
これで、速度が求められたので、
速度=距離/時間 だから、
$200(m/Sec)=s(m)/20(Sec)$     ∴$s=200\times{20}=4000(m)$・・・(2)
答え:$4000m$

このように考える人が、絶対いるはずなのである。あなたはいかが?
これは、間違っている。なぜか? 実際に実験したらこうはならないからだ。

では、何が間違っているか説明する。
普通に考えれば、誰でも分かる。「公式」だけ覚えようとするから上のようになる。

「速度=距離/時間」という考え方で求められるのは、その「時間」内の「平均速度」なのである。初めから、そう考えて、定義したのが「速度」であったはずだ。

今は、力が加わって、物体の速度が変化しているのだ。
(その時変わる速度の量を「加速度」と呼ぶのだから、分かるよね。)
上の回答で、(1)は正しい。なぜなら、最初止まっていた(つまり「速度」$=0$の)物体が、加速度により、だんだん速くなって、
$20Sec$後に$200m/Sec$になる。
ところが、ここで求められたのは、「平均速度」なのだから、実際には、最期の速度は、倍になっているはずなのだ。
平均速度=(実際の速度−初めの速度)/2 なので、
$(200(m/Sec)-0(m/Sec))/2=s(m)/20(Sec)$
       ∴$s=200\div{2}\times{20}=2000(m)$・・・(3)
これが正しい。

もし、物体の質量が$5(kg)$だとすれば、
力=質量×加速度 なので
$F=5(kg)\times{10(m/Sec^2)}=50(kg・m/Sec^2)$・・・(4)
この力を受けて、(3)で求めた距離を移動するのだから、
仕事=力×距離 であり、
$E=50\times{2000}=100000(kg・(m/Sec)^2)$・・・(5)
となるのである。
このとき、止まっていた物体を(1)の速度にするのに、全ての力が使われた。
つまり、仕事は、全て物体を動かすことに使われた。よって、動いている物体は、エネルギーを持っていて、
運動エネルギー=力×距離
       =質量×加速度×距離
       =質量×(平均速度/時間)/2×距離
       =1/2×質量×(距離/時間)2
       =1/2×質量×速度2

これを、運動エネルギーという。

つまり、
$E=\Large{\frac{1}{2}}mv^2$
というお馴染みの式が登場する。

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10.状況を把握する

さて、「公式というもの」の項で書いた、次の問題を解いてみよう。
地球上で、初速$20m/Sec$、角度$45$度で投げられた$10kg$の玉は、
何$m$先へ、何$Sec$かかって飛ぶのか?
(但し、地球の重力加速度を$9.8m/Sec^2$とする。)
「ああ、物理、嫌い」という、つぶやきとため息が聞こえる。

「公式」はいらない、と言ったはずだ。
これは、『物理』の問題というより、『日本語』の問題なのだ。
意味が分かれば解ける、絶対に。
みなさんは、この問題を見て、何が起きているか分からず、自分に関係のあることだと思わないから、解けないと決めてしまうのだ。

そこで、状況を頭に浮かべてみよう。

室伏選手がいて、ハンマー投げをする。最初にぐるぐる回る所は考えなくてもよい。とにかく、ハンマーを手から離した、そのとき、

(1)玉の速さは、$20m/Sec$
(2)玉の方向は、地面と$45$度の角度
(3)玉の質量は、$10kg$
(4)玉に働く力は重力のみ
(5)その力は、垂直・下向きに働く
(6)その力は、加速度$9.8m/Sec^2$

求めたいのは、

(ア)玉は、何$m$飛ぶのか
(イ)玉は、地上に着くまで何$Sec$空中にいるのか

これで整理できた。あとは話を簡単にして行けばよい。

速度というのは、「大きさ(速さ)」と「向き」を持っている。
よって、向きを分解して考えることができるわけだ。

今、玉は、地面(水平方向)から$45$度の方向に速度を持っているのだから、速度を「水平方向」と「垂直方向」に分解してみる。ちょっと発想が必要なのはこれだけである。



玉は、室伏選手の手を離れた時、運動エネルギーを持っている。
$45$度という角度はちょうど、正方形を書いたときの対角線を、一辺に分解可能な角度であるから、
図のように、水平方向も垂直方向も$\sqrt{2}$で割った数に分解できる。


さて、垂直方向には、$\frac{20}{\sqrt{2}}m/Sec$の速度を持ったものが、重力を受けながら徐々に速度が減り、ゼロになる、という事実を考えればよい。

$\frac{20}{\sqrt{2}}m/Sec$の速度を持ったものが、$tSec$かかって速度$0m/Sec$になるわけだよね。その時の加速度は分かっていて、$9.8m/Sec^2$なわけだ。
$9.8(m/Sec^2)=\frac{\frac{20}{\sqrt{2}}-0(m/Sec)}{t(Sec)}$
加速度とは、速度の変化を表したもの。そうだよね。
$t=\frac{\frac{20}{\sqrt{2}}}{9.8}=1.433(Sec)$
これで(イ)の半分が求められた。今度は玉が落ちることを考えれば倍の時間が必要なことはすぐ分かる。
$t'=t\times{2}=2.889(Sec)$・・・(イ)
これが分かれば、(ア)は簡単だ。
水平速度は一定で、$\frac{20}{\sqrt{2}}m/Sec$である。$t'$の時間でどのくらい走るか、という問いだ。
$\frac{20}{\sqrt{2}}(m/Sec)=\frac{s(m)}{t'(Sec)}$
$s=\frac{20}{\sqrt{2}}\times{2.886}=40.816(m)$
いかん、これでは北京オリンピックは無理だ、ということになる。

そして、前項の運動エネルギーを使うと、玉がどのくらいの高さへ達するかが分かる。
是非、自分で考えてみて欲しいな。試験じゃないんだから、じっくり時間をかけて。
楽しくなるって、ホント。

大切なことは問題を見つける能力、それをあきらめずに解決する能力、
それ自体を楽しめる能力、そして、柔軟性。

利根川進

あなたがたは、問題を見つけ、解決する楽しみを忘れているんですよ。

発想が豊かな人の共通点は、「次の問い」を思いつく好奇心の強さだ。
答えを導き出したとき、「なぜだろう」「だとしたら」と、次の問いにどんどんつなげられる力。

雑誌「プレジデント」

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